随筆的な、考え的な。

ガバガバ評論文をありがたがるな

就活でウェブテストを受けることが増えてきた。
評論文の読解も出てきたりする。大学入試の頃の国語を思い出す。

高校生の頃に感じていた、評論文へのなんともいえない「眉唾感」も蘇ってくる。

 

雑な時代認識の評論文

問題文で登場する「評論文」は、「昔はこうだった、今はこうだ」型のものが多い。

たとえばこの前受けたウェブテストではこんな文章が出てきた:

「かつて、社会の側に安定した価値の物差しがあった時代には、その時の場の空気や気分などによって、個々の評価が大きく揺らぐことはありませんでした。だから、周囲の人びとによる一時的な評価を過剰に気にかけたり、翻弄されることも少なかったといえます。場合によっては、「我が道を進む」と孤高にふるまうことができました

は? WHAT!? え?

「かつて、社会の側に安定した価値の物差しがあった時代」(多分戦後〜バブル期くらい?)は、「周囲の人びとによる一時的な評価を過剰に気にかけたり、翻弄されることも少なかったといえます。場合によっては、「我が道を進む」と孤高にふるまうことができました」???

本気か????

僕自身はその時代を生きていないから知らないけれど、たとえばゲイの人は「我が道を進む」ことなどそんなに容易くできていたイメージはないのだが???

これはほんの一例だが、評論文っていうのはガバガバな時代認識を前提としたガバガバ論理を展開することが多いように思う。

 

ガバガバ評論文をありがたがるな

ガバガバな評論文が問題文にしやすいのか、大学入試やウェブテストで頻出する。しかしいくらガバガバだとしても、問題文である以上、解き手はありがたく拝読するのである。

高校生の頃の僕も「え、そうなの……? まあ、この人がそう言うなら……」とありがたく読んでいたが、今から思えば僕の感覚のほうがどう考えても正しかった

大学生も終盤になった今でも、感想は変わらない。基本、「なに言ってんだ、こいつ?」である。

ガバガバ評論文は、目下の出来事の原因を、時代のゆるふわな趨勢に求めがちだと思う。でも、それは結局「自分たちの時代はまだ良かった。それに比べて今の若者は」型のガバガバ論法の変形に過ぎない。

何が言いたいかというと、年上の押し付けてくる「善い・悪い」など知ったことではないので、そのつもりで生きていこうねってことです。まる。

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