ゲイ・ジェンダー

ゲイだけど、ネトウヨでした。―ネトウヨ系ゲイはなぜ生まれる?―

※この記事は、「ゲイのぼくが、何故ネトウヨだったか。〜ネトウヨ系ゲイが生まれる理由〜」(2018/7/24)という記事に大幅に追記する形で更新されたものです(2019/03/09)。

ツイッターやYahoo!ニュースのコメント欄で、次のような意見を見たことがあるだろうか?

  • 「韓国や中国とは断交するべきだ」
  • 「韓国人や中国人は、劣等民族/不当に日本で特権を得ている」
  • 「日本は韓国や中国よりもすごい」
  • 「第二次世界大戦で日本は侵略戦争をしたことがない」
  • 「今のマスコミは信用できない」
  • 「南京大虐殺・従軍慰安婦は捏造」

これらの意見は、多くの場合いわゆる「ネトウヨ」的な意見としてくくられる。

ネトウヨとは、

インターネットの電子掲示板上などで、右翼的、国粋主義的、国家主義的、復古主義的な主張をする人たちを意味する

ネット右翼 – Wikipediaより

「ずいぶん過激なことを言うなあ。変わっている人たちなんだろうなあ」と多くの人は思うだろう。もしかすると、「自分とは縁のない人々」だとさえ思うかもしれない。

ところが、ネトウヨは僕にとって「親しみを感じる人達」だ。
なぜならば僕は、元ネトウヨだからだ。

そこで今回は、次の5点について紹介したい。

  • どういう経緯でネトウヨになったのか?
  • ネトウヨ時代に何を考え、何をしていたのか?
  • どうやって「脱ネトウヨ」したのか?
  • どうして「ネトウヨのゲイ」は生まれたのか?
  • どうすればネトウヨは「転向」するのか?

どういう経緯でネトウヨになったのか?

始まりは、「ニコニコ動画」のある動画

2012年、4月。つまり僕が中3の頃のこと。

ニコニコ動画で「国民が知らない反日の実態 ACE COMBAT6 edition」という動画を見つけたのが、すべての始まりだった。

この動画はACE COMBAT 6というゲームのPV(?)に字幕をつけたものだ。
その字幕の内容を一部抜粋してみる:

  • マスコミを信じちゃダメよ、ママ
  • 行くぞ愛国者 ペイバックタイムだ!
  • たった今入った新情報だ 麻生総理※の携帯着メロは ”君が代”と判明

(※動画は2009年に投稿されたもので、当時の総理大臣は麻生太郎)

この動画は、国民が知らない反日の実態」というサイトの宣伝動画だった。当時中3だった僕は、この勇ましい映像に釣られて、サイト「国民が知らない反日の実態」に触れることになる。

 

「国民が知らない反日の実態」への傾倒

僕が迷い込んだ(?)「国民が知らない反日の実態」のトップページには、次のように書いてあった。

マスコミが隠してきた日本の真実を暴露するまとめサイト

このサイトは、日本国民の多くが知らない反日の実態を、広く世間に知らせることを目的としたサイトです。

「反日」と聞くと、中国、韓国、北朝鮮を思い浮かべられる方が多いと思いますが、日本国内にも、 反日思想を持った勢力が存在します。それらの反日勢力の活動や主張の矛盾点・捏造点を監視し、国民が知るべき日本の真実・裏事情を不特定多数で執筆しています。

そして、本来ならば報道されるべきこれらの反日の情報について、日本のマスコミが殆ど報道しないため、特にマスコミが隠す情報を収集し、インターネットの利点を活かして国民の皆様に情報を提供しています。

国民が知らない反日の実態」より

当時中3だった僕が何を思ったのかは、あまり正確に覚えていない。ただ、「国民が知らない反日の実態」に辿り着いたその一夜でドップリとのめり込んだ覚えはある。

それを示しているのが、僕の当時のブログだ。

(題名)日本ってどうなってるの・・・?

最近よく見るサイトがあるんですが、その名も「国民が知らない反日の実態」です。偶然このサイトにたどり着いたのですが、中身を読んでいくとひきこまれて・・・日本は今危ないんじゃないか、そう思い始めたのです。

(僕の当時のブログの冒頭文より)

め ち ゃ く ち ゃ 信 じ て る ワ ロ エ ナ イ 。

 

ネトウヨ時代に何を考え、何をしていたのか?

そうして僕は、中3から高1までネトウヨになった。

具体的に何を考え、何をしたのかは次のとおりだ。
そしてこれらをやっているとき、僕は真剣に日本を何とかしなくちゃいけないという使命感に駆られていたのだった。

「”反日”勢力と戦えば、僕は絶対に間違わない」

国民が知らない反日の実態」のおかげ()で、僕の頭の中はこのようになっていた:

  • 「日本は脅かされているんだ」
  • 「日本を守らなきゃいけない」
  • 「”反日”勢力と戦えば、僕は絶対に”間違った側”にはならないんだ」
  • 「それが僕の存在理由なんだ」

 

フェイスブックで嫌韓動画をシェア

2012年のこの頃はフェイスブックが全盛期のとき。
「真実を広めなければ!!」と躍起になっていた僕は、主にフェイスブックで次のようなことをした。

  • フェイスブックに嫌韓動画をシェア
  • 日本を無根拠に礼賛して「愛国主義者」とコメントで名乗る
  • 「日本は韓国を植民地化したことがないんだって」と言いふらす

(当時の僕のフェイスブックを見返すと、嫌韓動画のシェアや過激なコメントが残っていたりして、めちゃくちゃ恥ずかしい。しかし、まだ消せていない。消すのは過去を誤魔化す行動のような気がするから)

 

櫻井よしこ氏や田母神俊雄氏への傾倒

国民が知らない反日の実態」を読んでから、僕は「勤勉な愛国主義者」になるべく「勉強」した。例えば次の本を読んだりした。

  • 『異形の大国 中国―彼らに心を許してはならない』(櫻井よしこ)
  • 『田母神塾―これが誇りある日本の教科書だ』(田母神俊雄)

また、櫻井よしこが主催するネット番組「言論テレビ」もよくシェアし、よく視聴した。

 

どうやって「脱ネトウヨ」したのか?

ネトウヨ的思想に染まっていた僕を「転向」させたのは、

  • 「2つの出来事」
  • 「他人に受け入れてもらえたこと」

だった。

2つの出来事

「良くないと思う」と同学年の人に注意される

いつものようにフェイスブックに嫌韓動画をシェアした所、そのときだけ同学年の人に「そういうの良くないと思う」と指摘された。

正面からこのように指摘してきた人は初めてだった。そして対峙することを恐れた僕は、確かシェアを取り消した(クソ小心者)。

先生との面談で「何か悩んでいるのか」と聞かれた

進路相談だったのか、高校の卒業論文の相談だったのかは忘れてしまったが、先生と面談をしたときがあった。そのとき、なぜか靖国問題について議論することになった。

僕がほぼほぼ論破された感じだった気がするが、その先生から(どういう経緯か忘れたが)「何か悩んでいるの?」と聞かれた。もしかすると「マイノリティで悩んでいるのか?」的なことを聞かれた気もする。

そしてその時に、自分の心の中の不安を見抜かれたからか、僕は泣いた。でも何も知らない先生は、僕が泣いていたのは「帰国子女」というマイノリティ性で悩んでいたからだと思っていたらしい。

確か僕は「違います」と言った。
「でも、悩んでいる理由をあなたには言いたくない」とも。

その時の僕は、自分がゲイである可能性を自分でも認めたくなかった。ましてや、他人に言うことなど考えられなかった。

 

ゲイであることを他人にも受け入れてもらえた

「このままゲイであることを隠して生きて、女の人と結婚して、子どもを作って、そのまま誰にも自分のことを知られずに死んでいくんだろうな」

僕は中3から高1まで、漠然とそう思っていた。

でも、海外ドラマ『Glee』でゲイのキャラクターたちが幸せそうに生きていたり、『ボクの彼氏はどこにいる?』を読んで勇気づけられたりして、少しずつ自分に”カミングアウト”していった。高校1年生の夏頃のことだ。

それと同時期、周りの信頼できる友人や先生にもカミングアウトし始めた。そしてどのカミングアウトでも、僕は拒絶されることなく受け入れられた。

「あ、存在して良いんだ」、そう思った。

そうして2013年の夏休み明け以降、僕のフェイスブックから嫌韓動画のシェアは消えた。

 

さて、ここまでは僕がどのようにネトウヨ思想に染まり、どのようにネトウヨ思想から「転向」したのかを紹介した。ここからは、「なぜネトウヨのゲイが生まれるのか」を改めて振り返る形にしたい。

 

どうして「ネトウヨのゲイ」は生まれたのか?

ゲイなのにネトウヨであるというのは、なかなか認知的不協和が大きい状態だ。

なぜなら、「ネトウヨ思想」は排外主義的だからだ。あらゆるマイノリティが敵対の対象となるので、当然「普通じゃない」ゲイも(主張の上では)排斥される。その「矛盾」を、当時の僕もうすうす勘付いていたと思う。

それでも僕は、「ネトウヨのゲイ」だった。
どうして思想的な一貫性を保つことができたのか?

自分の存在価値を提供してくれた

中学生の頃に「自分の存在価値がない」と悩むのはそれほど珍しいことではないと思う。いわゆる「存在論的不安」ってやつだ。

きっと、「自分の存在価値」を提供してくれるものだったら何でも良かったのだと思う。それが僕の場合、たまたま「ネトウヨ思想」だっただけで。

 

「ゲイでも”愛国主義”ならOK」という取引

当時の僕の「存在価値への不安」には、何も取り柄がない、ということのほかに、「ゲイである」ということも大きく働いていた。というよりも、当時はそのことばかりが頭の中にあった。

だから、

「僕がゲイでも、受け入れてもらえますか?」
「たとえ君がゲイでも、日本を反日勢力から守ろうとしていれば仲間だ!」

当時の僕は、こう承認されるしかないと思っていた。

「ネトウヨ的愛国主義」という”正”によって「ゲイ」という”負”の部分を打ち消せる。そうすることで、僕は「ゲイ」という”負”を実質帳消しにできる、と。

要するに、取引だ。

 

「名誉ヘテロ男性」になるという取引

「反日勢力」と戦う代わりに、ゲイであることを「許して」もらう、という取引。
――いや、「許してもらう」だとちょっと違うかもしれない。

ゲイであることを「なかったこと」にしてもらえる、と思っていた気がする。

セクシュアリティのせいで不安を感じないで生きられる「名誉ヘテロ男性」「似非ノンケ」。「ゲイ」という性質だけ透明にしてもらいたい。そんな感じだったと思う。

そうすることでぼくは、日本社会に認められるんだと思っていました。

 

コスパの良い自己肯定

ネトウヨ的愛国主義の魅力は、ゲイをを帳消しにしてくれるだけではなかった。
思考コストのかからない、手軽な自己肯定だったのだ。

  • 「反日は悪」(=日本は絶対に間違っていることはない)
  • 「韓国人は劣等民族」(日本民族は優秀)
  • 「日本は守らなきゃいけない」(正義感)

と単純に考えていればいいわけだから、思考停止状態で自分の存在価値を感じ続けられる。
他人を犠牲にした、コスパの良い自己肯定だったのだ。

 

どうすればネトウヨは「転向」するのか?

では、どうすればネトウヨは「転向」するのか。僕の経験に基づくのであれば、その答えは「論破」ではないし、「説得」でもない(誤った言説はきちんと糺すべきだが)。

答えは、「存在の承認・生き辛さの解消」。それだけだ。

他人に激しく牙を向けなければならないのは、それだけ承認が必要だからだ。
自分以外の何者かを悪者にして叩かなければ、自分を保てないからだ。

いくら理性的に議論を試みて論破したところで、きっと上手くはいかない。

なぜなら、ネトウヨ(というか当時の僕の場合)は、「ネトウヨ思想に自己がかかっている/自己を賭けている」から。

 

とあるコメントへの応答

リライト前のこの記事に、次のようなコメントを頂いた。

今はネトウヨじゃないよ、あの時の自分は愚かだった反省反省〜笑笑
って微妙な感じです。ごめんなさい。
漠然とした排他的な空気感に怯えていたという経験には同情しますしお気の毒でしたね。
ただ これって、男らしさの証明の為にレイプやDVをしてしまう人と同じ心理ですよね。
こういう人達にも同情できる側面もあるのでしょうが、多くの人達を傷付けてきた事に変わりありません。
もう今はネトウヨじゃないから ってそれだけでいいのでしょうか?
勿論 更正して貰えるのは良い事ですし、病んでいた という理由も分かりますが、僕病んでたんだ 許してね とご自分に同情し過ぎではという印象を受けてしまいました。

「もう今はネトウヨじゃないから ってそれだけでいいのでしょうか?」

そのとおりだと思うし、リライト後のこの記事にも(当時の)自分への同情がかなり漂っていると思う。嫌韓動画をシェアしていた当時、フェイスブックを見て不安に思った(在日韓国人の)同級生もいたんじゃないかと思う。自分の生きづらさを他人に転嫁していたのだと考えると、苦しいし、謝りたい。

と同時に、上のような正論でネトウヨの人を叩いたところで、生まれるものは何があるのだろう? 醜い自己擁護だが、ネトウヨ思想を持っている人は(第一に)加害者であると同時に、どこか被害者の側面もあるのだろうと(経験上)思う。

もちろん被害者だからといって加害者になって良いわけではない。しかし、(僕は別にいいが)「ネトウヨ思想に自己を賭けている人々」を情状酌量なしに断罪することは、彼らの「転向」には貢献しないんだろうな、とも感じてしまった。

とはいっても、やはりネトウヨとして嫌韓動画をシェアしていたのは加害だったと思うので、反省している。

 

おわりに

「自分の価値への不安を解消するために、何かのイデオロギーに賭けること」

これは、きっとネトウヨだけの話じゃない。

オウム真理教やイスラム国にもきっと共通する。そしてまた、「フェミニズム」や「LGBT運動」、昔のものならば「学生運動」でさえ、これに当てはまる側面がある気がする。

だから、僕は今後、このように自問自答するべきなのかもしれない。

自分の存在価値の不安を解消するために、何かのイデオロギーにかこつけて人を傷つけてはいないか?」と。

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