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東大構内で、鳥が仰向けで死んでいた。たぶん、雀だった。
綺麗な死体だ。時々風が吹いて、死体のまぶたをわずかに動かす。
死体を観察している間、ぼくはじぶんのポッドキャスト第0回を聞き返していた。聞こえてくるやり取りに、ときどき自分で笑いそうになった。というか、笑った(雀は笑わなかった)。
けれど――冷静に考えて――雀の死体を見ながらニヤニヤしているのは明らかに不審者なので、真顔を心がけた。
死体の写真を撮るとか、死体をうつ伏せに転がして状態を確認してみようとも思ったけれど、結局思いとどまった。
でも、どうして思いとどまるんだろう。
我々は物理法則に則って動く、ただの物質的存在にすぎない。雀の死など確実にありふれている物理現象だ。ぼく自身、意識的な無神論者だ。
それなのに、ぼくはなぜか形而上学的にひるむ。
歩いてくる学生は、死体に気付かない。死体が踏まれるのも時間の問題だった。
死体が踏まれるのはあまり好ましくなさそうだ。
だから死体をどこかに動かしてやりたかったけれど、躊躇した。
汚いかもしれない。鳥インフルエンザウイルスをもっているかもしれない。
そして、いったいどこにおけばいいのかわからない。
ぼくらは死んだら墓に行く。雀は一体どこに行く?
ぼくは諦めて昼を買いに行くことにした。その道すがら、茂みにでもそっと置いておけばいいかもしれないと思った。
だから、こう思った。
パネーンガイのテイクアウトを買いにタイ料理屋に行き、戻ってきた時にもこの死体があったら、茂みの中にでも運ぼう。
そうしよう。
以上、みんなすばるでした。
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