「リラコ(=僕)さんってちょっと誘いづらいんだよね」、とゲイの友達に言われたことがある。まあ、僕自身ちょっと自覚があるので、驚きは少ない。
ただ、それはちょっとさみしいことではある。
デフォルト設定では、世界はノンケの発展場だ。だからこそ、昔(今も?)のゲイは夜な夜なトイレや公園などを活用して、そのデフォルト設定からなんとか逃れようとした。
2019年の今でも大勢に変わりはないが、SNSやゲイ向け出会いアプリが普及したおかげで他のゲイの人と会うハードルは格段に下がった。
とくに存在感を放つツールが、ツイッターだ。
- 自分の近況をつぶやく
- 自分の顔やカラダの画像をアップロードする
- 他のゲイの人のツイートを読む
- 他のゲイの人と連絡を取り合う
こんなふうに、自己発信しつつ他人の発信も見られるし、気軽に使える。
出会いアプリでは自己紹介文といった限定的なところでしか相手のことを知れないが、ツイッターなら(多少は)ありのままの姿がわかる。「あ、この人はちょっと性格に難がありそうだな」と思ったら避けられるし、「共通する趣味がある!」とわくわくすることもできる。
- 「〇〇くんと遊びに行った!」
- 「おはよう〜」
- 「種付されたい便器おらん?」
- 「自民党政権はクソだ、打倒安倍政権!」
まあ大方は、①>②>>>>>>>>>③≧④ といったところだろう。
そう、政治系ツイート・社会批判系ツイートをすると、ちょっと引かれてしまう可能性があるのだ。しかし、僕はまあまあ社会批判系ツイートをする。それゆえ、僕のツイートを見ている人は、僕のことをちょっと怖い人だと思っているにちがいない。しかめつらをして、ストイックな性格、みたいな。実際はぜんぜん違うが。
でも、僕はそれが嫌なのだ。あえて区別しないで、融合させたいのだ。だって、政治や社会についての話題が出ない雑談だなんて、僕にとっては変だし、ちょっと退屈に思えるから。
「ああ、日常」と思っている人のタイムラインに政治や社会についての話題を混ぜ込むのは、僕からすると良いことなのだ。まあ、それだから近寄り難さが生まれちゃうんだと思うが……。