※『「淫夢ネタ」絶対見たくない!』というひとは、この記事を読まないほうが良いかもしれません。
はじめに
おととい観た映画『売買ボーイズ』がすごくよかった。みんなすばるです。
さて、これは「ゲイ東大生が、淫夢ネタについてまじめに考えてみた。」シリーズの最終回。
あなたが立派な「淫夢作法マスター」になるまで、あとすこし。
最終回。「隣にいるゲイの友人を傷つけないための、淫夢ネタの作法」を考える。
「淫夢ネタか、ゲイの友人か」の二択じゃない
あなたは、淫夢ネタのとりこかもしれない。
でも、
「わたしの友達のなかにゲイの子もいるかもしれない。
その子のことを思うと、淫夢ネタとはおさらばしなくちゃいけない」、
そう考えるかもしれない。
けれど、それはそれで悲劇的だ。
面白いものを面白がることができるのは、権利だ。
(他人を侵害しないかぎり)
だから、「淫夢ネタで笑いながら、ゲイの友人を傷つけない」世界を構想したい。
そしてそんな世界をつくるヒントになるのが、「腐女子の倫理」だ。
淫夢厨は、腐女子をみならうべし
「腐女子」とは、「ボーイズラブ(BL)をたしなむ女性」のこと。
腐女子の友人(カミングアウト済み)が、こんなことを言っていた。
「わたしね、ゲイのひとにいろいろ押し付ける腐女子が嫌い。あとわきまえずに目立つ腐女子も嫌い」
ここから読み取れるのは、彼女なりの「腐女子の倫理」だ。
「腐女子は、じぶんたちの理想を実在のゲイに押しつけてはいけない」
「腐女子は、BLなどが目立たないようにするべきだ」
この「腐女子の倫理」は、淫夢ネタにも応用できる。
では早速、これを使って淫夢ネタの作法を考えてみよう。
①「淫夢のゲイ」を「リアルのゲイ」に押しつけるな
○腐女子の場合
一部のBLでは、実際のゲイの人とかけ離れた「フィクションのゲイ」が描かれる。
たとえば
「すべてのゲイが容姿端麗」
「ゲイの恋愛は波乱万丈」
「ゲイは女性のこともわかる」など。
これを真に受けて、
「ゲイは素敵な恋愛をしてて、
わたしの気持ちもわかって、
しかもイケメンなんだ*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)’・*:.。. .。.:*・゜゚・*」
みたいなメンタリティをもつ腐女子は、現実のゲイを見ていない。
当たり前だが、
ブスなゲイもいるし、
落ち着いた恋愛をするゲイもいるし、
女性のことなどまったくわからないゲイもいる。
それをわかっていない腐女子は、ゲイからは嫌われる。
だからこそ「良識派の腐女子」は、ゲイの人ともフラットに接してくれるわけだ。
○淫夢ネタの場合
淫夢厨は、夢のなかを生きている。実物のゲイが存在しない夢を。
たとえばこういう意見があったりする。
@ogatakehikky 淫夢ネタ、差別的でしたっけ(´・ω・`)?むしろ、同性愛者に親しみを覚えるのですが。。
— M.u.n.a.z.Φ (@Ryuta88447727) March 22, 2014
この方の言いたいことは、分かる。 よく分かる。
けれど、この方の言う「同性愛者」は地球上に存在しない。
なにせ、淫夢ネタでつくられる「ゲイ」像は実物とかけ離れているから。
リアルのゲイですら、淫夢ネタを見て「え、これがゲイの象徴なの?」と感じる。
(そもそも、ヘテロセクシュアル代表が存在できないように、ゲイ代表など存在できないのだが)
つまり、淫夢ネタで同性愛者に「親しみ」を感じることは、
上の「理想の押し付け系腐女子」と同じだ。
勝手にフィクションに親しみを感じて、
勝手にフィクションとリアルをごちゃごちゃにしているのだ。
だからこそ、「淫夢のゲイ」を「リアルのゲイ」とごちゃごちゃにしていないか、
内省することが必要だ。
②淫夢ネタは、ひっそりと。
○腐女子の場合
エロシーンの描かれるBLを楽しんだり、
クラスの男子のカップリングで興奮することは、誰でも自由にできるべきだ。
けれど、そのエロシーンをおおっぴらにしたり、
カップリングで興奮していることを当人に伝えるのは、ちょっとちがう。
(だから、コンビニにエロ雑誌があからさまにおいてあることはまずいとも思う)
それはただのセクハラだ。
だから、「良識派の腐女子」はそういう話題をプライベートに、
あまりおおっぴらにしすぎないように楽しむ。
○淫夢ネタの場合
野獣先輩やゲイのことを笑う自由も、あってよい。
けれど、その映像(そもそも無断転載)をおおっぴらにしたり、
ゲイを嘲笑する発言を当人たちに聞こえるように言うのはちがう。
なぜならそれは他人を傷つけるものになるからだ。
淫夢厨は腐女子と同じように、
できるだけ区分けされたところでプライベートに盛り上がるべきなのだ。
おわりに
そういうわけで結論。
淫夢ネタの作法とは、
『架空のゲイ』を笑っているのだという自覚をもち、
ゾーニング(隔離)された場所で愉しめ
ということになる。
淫夢ネタをたしなみつつ、ゲイの友達のことも思いやりたいと考えて、
これを読んでくださったひとには、敬意を表したい。
ゲイ当事者のぼくは、そういう姿勢に救われる。
「ぼくの気持ちはこうなんだ。同じ人間の気持ちとして、尊重してくれないかな?」
というメッセージとして受け取ってもらえたのなら、幸いだ。
そしていっしょに「よりよい世界」を考えられたなら、幸いなことこの上ない。
というわけで、以上。みんなすばるでした。