観光が苦手だ。
観光名所が苦手だ。
たとえば、現地の人やモノを「見世物的に」撮影することは苦手だ。あるいは、よく知らないお寺や美術館に行くことが苦手だ。
控えめに「見世物」を見るというマナー
観光とは、そもそも「見世物」を見に行くものだ。そうじゃないと、そもそもそこに行こうとは思わないのだから。
でもそこには倫理というか、マナーみたいなものがあるはずだ。
現地の人にとって、観光客は日常にズカズカ入ってくる「異物」だ。そんな観光客が相手のことを人間ではなく「見世物」として扱うのは、果たしていいことなのだろうか?
現地の人も人間である以上、相手をおおっぴらに見世物扱いするべきじゃない。僕はそう思う。
だから、たとえば観光先でどうしてもカメラを使いたくなったときには、相手を見世物扱いしていないか、その印象を与えていないかに気をつける。
逆に、相手を見世物扱いして憚らない「無邪気な観光」は、個人的に苦手だ。
観光する場所の価値は、他人ではなく自分が決めよう
ガイドブックはとても利用価値のあるものだと思う。でも、観光名所がそれに載っているからといって、そこに価値が生まれるわけではない。
「みんなが行きたがる場所だから」
「歴史のある場所だから」
「有名な場所だから」
「観光名所だから」
そういう理由で観光名所に行きたくなるのは、よくわかる。
でも、どうしても虚しさを感じてしまう。
観光名所には、果たして「自分にとっての」価値が、あるのだろうか?
必ずしもあるわけではないと思う。
もし周りに合わせているだけなら、観光名所をありがたがらなくていいと思う。そして自分の興味にしたがって好きなスポットに行くのがいいんじゃないかと思う。
僕はいろいろな国の本屋に行くことが好きだ。他方、派手な観光名所、人工的な・意図的な・計算された観光名所にはあまり惹かれないかもしれない。
でも、それでいいんじゃないかと思う。
逆に、自分にとっての価値がない名所を巡るツアーみたいな「脳死観光」は、苦手だ。
観光の魅力は、場所ではなく文化に宿る
現地に”近づく”ためには、観光名所ではなく「ちょっとした現地の日常」を垣間見ること、体験することのほうが大事なんじゃないかと思う。
たとえば、
- 食事のマナー
- 鉄道の乗り方・使い方
- 店員さんの接客の仕方
- 現地の人のコミュニケーションの取り方
といったことを体験したり、知るのはワクワクする。
もちろん、観光に求めることは人それぞれだ。
ただ言いたいのは、観光というのは観光名所を巡ることだけじゃないよな、ということだ。僕はそこに気づくのにずいぶん長いことかかってしまった……。
まとめ的なサムシング
結局、人が観光に求めるものはバラバラだ。
僕の場合、「観光=観光名所めぐり」ということに固執しすぎて、大事なことを見失っていたと思う。
あなたは、観光に何を求めているだろうか?