今年のいつだったか、NHKから取材を受けた。
きっかけは、僕が元ネトウヨだったと書いた記事だった。
取材を申し込んでくださった方(Aさん)の部署の個室で面談した。面談は「取材のプレ取材」という位置付け。要するに、ゆるいおしゃべりだ。Aさんは、親身で気さくな人だった。だからか、僕は本当に色々なことを話した。
それで僕は、その「プレ取材」で泣いた。
ありふれた中学、高校時代。
結局のところ、それはありふれた物語だ。
- 「じぶんはゲイかもしれない」と中学時代から思い始めていた。チェック。
- 「けれど、やっぱりバイかもしれないし、気の迷いかもしれないし、いつか”普通”になるかもしれない」と、問題を棚上げした。チェック。
- 「じぶんはゲイなんだ」と思い知らされるほど、内なるホモフォビアで自罰的になる/他罰的になった。チェック。
細部はいくらでも話せるけれど、大枠としては別になんてことはない、ありふれたゲイの思春期だ。そこらじゅうに腐るほど転がっているし、これよりも過酷な経験をした人だっているだろう。
そのありふれたナラティブを、今まで何度もしてきたようにAさんに話した。けれど、あることがAさんの興味を引いた。
取材中に僕は泣いた。
「どんな小説を書いていたんですか?」
高校のころ、僕は文芸部でいくつかの小説を書いた。
その中には、ゲイの高校生を主人公にしたものもあった。
「いろいろ書いてましたが……」
高校時代に書いた小説の中でとりわけ思い入れのあった「遥かかなたのバニラ・ティー」を紹介した。つたないけれど、じぶんなりに書いた短編だ。
内容は、合唱部に入っている主人公が同性の部員に告白されて付き合う、というもの。
「当時の思いとかを込めて書いたりしたんですか?」
そんな感じのことを問われた僕は、その短編を書いた理由や、その頃の僕にとっての意義を説明しようとした。すると、僕は泣きたい気持ちでいっぱいになって、抑えきれなくなって、泣いた。
どうして僕は泣いているのだろう?
「じぶんのセクはもう受け入れた」
「ゲイだからという理由で悲しくなることはない」
常日頃からそう思っているのに(否、もはや思わないほどには強くなったのに)、いったいなぜ僕は泣いているんだろう。
久しぶりに嗚咽しながら泣いていたので、僕自身、心底困惑した。
無論、Aさんも困惑していた。というか驚いていた気がする。ふつうに心配された。
理性がやっと涙に追いつくと、僕はじぶんが泣いた理由がわかった。
あのときの思い出。
あれは夏の頃だったと思う。
僕がリビングルームに入ったとき、テレビはバラエティ番組を映していた。その番組は、何かの流れで男性の芸能人同士が「結婚するかー?」となっていた。
ありふれた、ホモフォビックな表現。
高校生の僕は、すでにそういうものに慣れていた。
でも、母親が「いやだー」と可笑しそうに笑っていたのは、辛かった。
僕は、何も言わずにリビングルームを出た。
「傷ついたじぶん」を置いていくために、僕は小説を書いた。
そのリビングルームでの一件を、僕は作中人物の体験として「遥か彼方のバニラティー」で登場させた。
「当時の僕がそうしたのは、その出来事で傷ついたじぶんを『供養』したかったからだと思います」
そういうことを、僕はAさんに話した。
それで僕は、どうしても泣きたくなったのだった。
同情なんてほしくない。
同情なんてほしくない。
褒めの言葉もいらない。
だけど、辛い思いは知ってほしい。
当時の僕はそう思って「遥かかなたのバニラ・ティー」を書いたのだ、とずっと思っていた。けれど、そのNHKの部屋で泣いている間に、僕は気づいた。
僕は強がっていたのだ。
「頑張ったね」と言われたかった。
同情されたかった。
「頑張ったね」と褒められたかった。
誰かに「大変だったね」と肩をさすってもらいたかった。
けれど、そうしてくれる人なんて誰もいなかった。
だから僕は、
「傷ついたじぶん」をじぶんの中から摘出して、
ねぎらいの意味を込めて物語に登場させて、
じぶん一人で供養して、
物語に置いていった。
僕自身が先に進むために。
僕はAさんと話して、その事実にやっと気づいた。
おわりに
こんなしょうもない身の上話を、Aさんは真剣に聞いてくださった。僕が泣いているときにAさんも目元に涙をためていて、僕は少し救われた気がした。
結局、「元ネトウヨ」関連の取材が続くのかはよくわからないけれど、いろいろ僕の中でも整理できて、貴重な経験になった。Aさんには深く感謝している。