先日、映画『新聞記者』を観た。
その中で、仏前に手を合わせるシーンやお通夜シーンなどがあるのだが、それを観ているときに湧いた感慨があったので記しておく。
先に断っておくが、『新聞記者』とは全く関連性がない感慨だ。
「無宗教」とかいう大嘘
日本人ってさ(※クソでか主語)、自分のことを「無宗教」って言う人多くない?
あれ端的に言って嘘じゃない?
死んだ人の写真の前でいい匂いのする物体に火をつけて煙をあげたり、手のひらを合わせて目を瞑るのって、冷静に考えて宗教だよね??? 少なくともスピリチュアルに寄ってるよね???
木の箱の中に金を投げ入れて、でっかい鈴みたいなの振って、拍手して手のひらを合わせて目を瞑るのって、宗教じゃない???
「無宗教」言うなら初詣も葬式も墓参りもするな!
でも実際のところ「僕は無宗教です」と言う人ってさ、「自分は宗教を信じていない」と思ってるよね。
だったらさ、初詣も葬式も墓参りも行かないのがスジなのでは? と思うわけ。
だって宗教に信じていないんだから!!!
……と思ってたけど、宗教っぽい行為ってコミュニケーションなのかなって。
過激派な意見を言ってきたけど、「無宗教なら、宗教的な行為に参加するな!」ってけっこう極端な意見なのかもなと最近は思い始めている。
思ったけれど、宗教的な行為(墓参りとか、初詣とか)の一番の眼目は神とか非科学的なものへの信仰じゃないのかもしれない。
むしろ他の人とつながるためのツールなのかも。
たとえば親戚の家に行ってその家にある仏壇で手を合わせたら、「私はあなたの家族のことを大切に思っていますよ」というシグナルを発信できる。そうすると、その親戚とは良い関係を築くことができるはずだ。
それなら、別に何も信じていないとしても、とりあえず心を無にして宗教っぽい行為に付き合うのも悪くないのかもしれない。
だって、みんなで初詣に行くのって楽しいもんね。
「無宗教」の本当の意味
僕は無神論者だけど、無宗教と無神論ってやっぱり違うんだ。
無宗教って、「ひとつの宗教を信じてるわけじゃなくて、色々なごった煮を信じてる。神とか霊的なものを信じないわけではない」というスタンスなのだ。
でも、僕みたいにまるきり神とか信じていなくても、無宗教の人と付き合っていく知恵として「宗教っぽい行事」に参加するのもありなのかな、と最近は思い始めた。
そんな話でした。