ゲイ・ジェンダー

「オネエ無理っす」の違和感を考察してみた

服がぜんぶ青系統になってしまいます。みんなすばるです。

さて、今回は気分的に敬体ではなく常体で書こうと思います笑

というわけで、「男らしさ」について。

 

ゲイとして生きていて

ゲイとして生きていて、「男らしさ」について考える機会は多い。

というのも、ある意味でゲイは「男らしさ」に関して「ねじれの位置」にいるからだ。

  • 「男が好き」という点では「男らしくない」。
  • 「自分は男だ」と思っている点では、「男らしい」。

男らしいんだけど、男らしくない。そんな「パラドックス」。

無論、これはパラドックスなどではない。

 

ゲイ男性の「男らしさ」

「伝統的な男らしさ」をまとうには、おそらく次の①〜④をすべて満たしている必要がある。

  1. 女性が好きである
  2. 男性的なふるまいや言葉遣いをする
  3. 男性的な身体をもつ
  4. 自分のことを男性だと確信している

このうちのひとつでも脅かされると、「あれ? 男らしくないかも?」となる。

たとえばゲイ男性の場合。

たとえ男言葉で話したり(②)、男性器がついていたり(③)、その人がみずからを男性だと思っていても(④)、多くの人はゲイ男性を「男らしくない」と判断するだろう。なぜなら、ゲイ男性は女性を好きになる(①)点を欠いているから。

しかし、この固定的で伝統的な「男らしさ」への理解(「ふるい男らしさ」)は、じゅうぶん変更可能であるように思う(「新しい男らしさ」へ)。

たとえば、ぼくはゲイを自認する。けれども、(他人の判断とは裏腹に)じぶんのことを「二流の男」だとは考えない。ぼくはじぶんのことを男性だと確信している(④)し、身体やふるまいも平均的に男らしい(②・③)と考えている。

これで十分だとぼくは考える。

つまり、大事なのは②〜④であり、女性が好きである(①)ことはそこまで重要じゃない。仮に①をめちゃくちゃ重視する人がいたとしても、ぼくは「他人がぼくの男らしさを疑問に付そうが、どうでもいい」という超然的なスタンスを取る。そしてその超然的態度それ自体も「男らしさの要素のひとつ」とさえ思う。

このように、我々は個々に男らしさ(「新しい男らしさ」)を定義する資格がある。

つまり、「伝統的な男らしさ」を脱出して「新しい男らしさ」をまとうことが、ゲイ男性にとって可能(なはず)なのだ。

 

「オネエっぽい人無理」系のゲイは自家撞着か?

ゲイアプリ上のステレオタイプ的プロフィールに、次のようなものがある。

こっちは普段ノンケ生活。ずっと運動部。

オネエっぽい人無理です。男らしい人が好きっす。

これに違和感をもつゲイは多い。

それはきっと、この手のプロフィールにつきまとう自家撞着の臭いを嗅ぎ取るからだろう。というのも、このプロフィールは次のことを示唆する。

  1. このプロフの人は、「伝統的な男らしく」ありたい
  2. しかし、「伝統的な男らしさ」の1要素「女性を好きになる」(①)が欠落している。そしてそこに大きく不安を感じている
  3. だからこそ、その他の要素(②男性的なふるまいや言葉遣い、③男性的な身体、④男性という確信)を強調する
  4. しかし「伝統的な男らしさ」を重んじるくせに、好きになるのは「男らしい人」(⇔①「女性」を好きになる)

つまり、「オネエ無理」系の人は「伝統的な男らしさ」というフィールドに残って戦おうとしている。そのくせ、オウンゴールしてしまっているのだ。

「伝統的な男らしさ」では、①女性を好きになることが「男らしい」。それなのに、このプロフの人は、「男っぽい人」が好きなのだから。

もし「伝統的な男らしさ」に一貫していたいのであれば、好きになる対象は「男らしい人」ではなくむしろ「オネエっぽい人」になるはずなのだ。

こっちは普段ノンケ生活。ずっと運動部。

男臭い人無理です。オネエっぽい人が好きっす。

このようなゲイが、もっとも「伝統的な男らしさ」に近いのではないだろうか。

 

おわりに

今回はずいぶんと大真面目に考察してしまいました。

ゲイ男性と男らしさ・オネエ嫌悪について、すこしでも新しい視点を提供できたのなら幸せです。

以上、みんなすばるでした。

 

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