最近、『LGBTを読みとく: クィア・スタディーズ入門』を再読しました。
みんなすばるです。
個人的に、セクシュアル・マイノリティや「クィア・スタディーズ」という学問について知りたいのなら、『LGBTを読みとく』はめちゃめちゃおすすめです。
- アマゾンでは意外と低評価(3.6)
- 納得できる低レビュー①「昔の本の焼き直し?」
- 納得できる低レビュー②「入門書としては難しいかも」
- 納得できない低レビュー①「はじめに」
- 納得できない低レビュー②「新書で扱えるテーマではない(新書で扱うなら、もう少し書き方を工夫すべき)」
- 「カタカナ語を使いすぎ」
- 「科学的説明がない!」
- 「『WHOが言っているから』は権威主義だ!!」※言ってない
- 「LGBTとその組み合わせしか論じてねえじゃん」
- 「男女別にしたがる傾向を扱っていない!」
- 「非差別意識が鼻につく」
- 「同性愛はもっと昔からあったやろ!!」
- 「薄い本」
- 納得できない低レビュー③「セクシュアルマイノリティについて政治的に正しく論じるためのアンチョコ」
- おわりに
アマゾンでは意外と低評価(3.6)
ぼくとしては『LGBTを読みとく』はの本なのですが、アマゾンレビューを覗いてみたところ、意外や意外。
レビュー数13で、(3.6)
意外とレビュー値が低い!
しかし、そのせいで『LGBTを読みとく』を買い控えする人がいたらもったいない!
そこで、ぼくの目が狂ってる可能性があるので、なぜ『LGBTを読みとく』に低評価がつけられているのかをちょっと確認してみましょう。
納得できる低レビュー①「昔の本の焼き直し?」

この中で言及されている『クィア・スタディーズ』をまだ読んでいないんですよね汗(不勉強ですみません)。
焼き直しなのかの報告は、いつか追記でお知らせします(笑)
とにかく、もし本当にまるまる1冊焼き直しに見えるのなら、★1をつけたくなるのも仕方ないかもしれませんね。だってそれじゃ読んだ時間の無駄だし……。
納得できる低レビュー②「入門書としては難しいかも」

「言葉が難しい」と言っているのは(推測ですが、)第5章の「クィア・スタディーズの誕生」あたりかと思います。
たしかに第5章から(そこそこ急に)次のような用語が出てくるんですよね。
- 構造主義
- ポスト構造主義
- 脱構築
- 序列の転倒
一応これらの用語を著者は簡単に説明してくれています。ただ、あくまで概説なのでいまいち自信がありません……(大学受験の科目「現代文」「倫理」のなかで一応学んだはずなんですが汗)。
だから、「クィア・スタディーズ入門として評価するのは難しい」というのは正当な批判かもしれませんね。
ただ、これらをわかっていなくても、「クィア・スタディーズ」にとって重要な概念は丁寧に説明されています。そのため、上の用語がわからなくてもそこまで恐れることはないと思いますが……。
ちなみに紹介されている重要概念は、
- パフォーマティヴ(ィティ)
- ホモソーシャル(ホモソーシャリティ)
- ヘテロノーマティヴィティ
- 新しいホモノーマティヴィティ
- ホモナショナリズム
の5つです。
さて、ここまでは「納得できる」低レビューでした。
これらの「納得できる」低レビューだけなら、「まあ確かにそうかもなあ」となるのですが……。
ここからは、「納得できない」低レビューになります。
これら「納得できない」レビューが挙げている理由は、『LGBTを読みとく』を低評価にするには不当に思えてなりませんでしたので、ご紹介します。
ただ、あくまで「全体としては納得できない」だけであって「納得できる部分もある」という言い訳だけはしておきます(笑)
納得できない低レビュー①「はじめに」
「はじめにの書き起こしの文章が要らない」とはどこのことか

この方の「はじめにの書き起こしの文章が要らない」という部分は、どこのことだろうと思って探してみました。
「書き起こしの文章」かつ「不愉快になった」ということから推測すると、おそらく以下のところでしょうか?
意外かもしれませんが、セクシュアルマイノリティを見下す心が見え隠れする人がよく使う枕詞は「私はセクシュアルマイノリティに対する偏見を持っていませんが……」です。
曲者なのは最後の「(逆接の)が」で、当然ながらその後に続くのは質問や疑問の体をとったセクシュアルマイノリティへの否定的な言葉です。それが否定的なニュアンスを持つものだからこそ「偏見ではない」と前置きで宣言するわけですが、宣言すれば「偏見」でなくなるわけでは当然ありません。文句は言いたいが自分が「善人」であることは手放したくないという本音が透けて見えている辺り、むしろ痛々しくすらあります。(『LGBTを読みとく』P.7-8、太字は引用者)
たしかにすこし挑発的です(笑)
でも、当事者としては「いや、言ってること正しくない……?」となりましたね。

「受け入れていない人をまずは受け入れろ」は正しいのか?
このレビュアーはこう続けます。
理解がない人がどんな人か暗に想像させて、これでは一般に広く理解を求めるには無理があります。受け入れていない人をまず受け入れなければ教えにはならないのではないでしょうか。
(太字は引用者)
しかしこのレビューを読んだとき、ゲイの当事者としては「はぁ?」と思ってしまいました、率直に言って。
だって、これって要するに、
という言い合いですから。
で、ぼくとしては「受け入れていない人をまずは受け入れろ」と言われても、「いやいや、なんで先にそっちを受け入れなきゃいけないんだよ」となっちゃいます(笑)
平行線は、マジョリティに有利
ただ、この言い合いって平行線をたどるんですよね……。
そして言い合いの平行線ってマジョリティに有利なんです、すでにマジョリティが権力を握っているから。
(といっても、「無理解のマジョリティは無視して、理解してくれるマジョリティにだけ目を向ける」という戦略もあるでしょうけれど)
そうすると、「わかりました、わかりました。それではまず受け入れられないあなたを受け入れましょう」という菩薩みたいなメンタルで接する必要があるんですよね……(めっちゃストレスマッハやんけ)。
「「はじめに」の文章で不愉快になるということは、それだけ心当たりがあるということだから、ぜひ理解できるように頑張ってほしい」
と言って、この方のレビューは終わります(笑)
納得できない低レビュー②「新書で扱えるテーマではない(新書で扱うなら、もう少し書き方を工夫すべき)」

多くの論点を挙げているので、個々に検討してみます。
「カタカナ語を使いすぎ」
カタカナ語を頻繁に用いて、輸入してきたクィア・スタディーズの概念を振り回している(若い研究者にはありがちな傾向だが)。
この本は、「欧米発祥」のクィア・スタディーズという学問領域の入門書なのですが……(困惑)
「科学的説明がない!」
知識にこだわると言いつつ、セクシュアルマイノリティがなぜマイノリティなのかという素朴な問いについての(自然、社会、人文)科学的説明がない(科学的に説明することは、それを病理現象や障害とみなすこととは異なるし、むしろ適切な理解の促進にもつながる筈)。
単なる嗜好の違いだとしても、たとえば犬猫愛好者がマジョリティで蛇トカゲ愛好者がマイノリティであるのは何故か、という嗜好おけるに[原文ママ]傾向について、それなりの科学的説明(たとえば流通経路の問題などなど)が可能であるのだから、やはり説明の努力は必要である。
著者が
(・・・)セクシュアルマイノリティとは、社会の想定する「普通」からはじき出されてしまう性のあり方を生きる人々のことです。
と述べていることや、
- 「同性愛はいかに問題にされてきたのか」(P.61-67)
- 「「男の絆」から「男性同性愛」へ」(P.76-77)
- 「日本のトランスジェンダー概念史」(P.102-103)
といった節で「なぜマイノリティなのか」はすでに説明されていると思うのですが……(困惑)。
もしレビュアーの求めているものが「なぜセクシュアルマイノリティは存在するのか」的な話なのであれば、正直この本の「クィア・スタディーズ入門」という目的から逸脱する気がします。
「『WHOが言っているから』は権威主義だ!!」※言ってない
WHOが言っているから病理や障害ではないんだ、というのでは単なる権威主義でしかない。
「WHOが言っているから病理や障害ではないんだ」なんてこと、この本は言っていません。
この方は誤読しています、おそらく。
読めばわかるはずですが、むしろこの本は全体として「何が病理/障害なのか決めるのは、極めて恣意的な行為だ」と言っているはずです。
「何が病気・障害なのかを決めるのは、恣意的だ」ということを理解せずにこの本を(整合的に)読むのは不可能だと思います。
「LGBTとその組み合わせしか論じてねえじゃん」
セクシュアルマイノリティといいつつ、結局LGBT(とその組み合わせ)の範囲でしか論じていない(ペドフィリアやサディズム、マゾヒズム、フェティシズムなどのマイノリティについて、またポリガミー(ポリアモリー)についても語っていない)。
それはそうですね。ぼくも同意します。一応、Xジェンダー・パンセクシュアルなどは触れられていますが。
著者もこの点については自覚的で、P.206の読書案内でこの欠落に触れています。
「男女別にしたがる傾向を扱っていない!」
社会における対応について、オリンピックなどの体操競技における男女別の問題、風呂やトイレにおける男女別の問題、その他、教育現場や職場などですぐに男女別にしたがる一般的傾向などを扱っていない(前二者については難しすぎるから避けているとも見える)。
それを研究するのはジェンダー論であって、クィア・スタディーズではないのでは……?
(※もし何か知っている方がいたら教えてくださいm(__)m)
「非差別意識が鼻につく」
被差別意識(政治的意識といってもいい)が目(鼻か)につく(まあ、致し方ない現状ではあるが)。
え、ダメなんですか?(笑)
「同性愛はもっと昔からあったやろ!!」
この課題を古来からのものではなく、近現代に限定しようとする論述が強引(稚児や衆道、陰間などを対象範囲外としているし、その正当化のために用いている東京-貝塚ロジックは強引すぎる)。
いやいやいや、「同性愛者」概念を近現代に限定する理由は、めっちゃ丁寧に書いてましたよ!!!
P.80にがっつり書いてましたよ!!!
もう1回読み直してください!!!
「薄い本」
これだけの薄い本で扱うには大きすぎるテーマではあったということだろう(と、いささか同情的に)。あとがきで拾い読みを勧めているが、拾い読みをしなければならないほど分厚い本ではない。
まずこの本は「クィア・スタディーズ入門」です。
次に、著者もさんざん「クィア・スタディーズをこの本だけではぜんぜん語れていない」と念を押し保険をかけ、丁寧な読書案内もつけています。
それでもテーマが扱いきれていないって、難癖の域では……。
というか、ここまで見てきてわかりますが、この方はかなり誤読しています。
たいへん不躾な言い方ですが、「テーマが扱いきれていないのは本じゃなくてあなただよ!!」、と思ってしまいました。すみません。
納得できない低レビュー③「セクシュアルマイノリティについて政治的に正しく論じるためのアンチョコ」

「クィア・スタディーズの本としては価値があるけど」
クィアスタディーズの理論と歴史をまとめた本としては一定の価値があるが、LGBTとはどんな人たちなのかはまるでわからない。
いやあなた、この本は「クィア・スタディーズ入門」ですやん……。
ご自分でも「クィアスタディーズの理論と歴史をまとめた本としては一定の価値がある」と言ってますやん……。
だったらすでに及第点じゃないですか……。
それなのに「LGBTとはどんな人たちなのかはまるでわからない。」ってまさに「木に縁りて魚を求む」ですやん……。
実際にどんな人がいて何を問題と感じているかが自分には見えてこなかった
とはいえ、このレビュアーが次のように書いているが、
「実際のセクシュアルマイノリティが本文中にいっさい登場せず、ひたすら分類や用語の適切さをめぐる議論に終始するため、実際にどんな人がいて何を問題と感じているかが自分には見えてこなかった。」
これは確かにそうなのかもしれない、とは思った。
当事者視点の学問になってしまいがちな「クィア・スタディーズ」をマジョリティの人にも理解できるようにするには、実際にインタビューなどを載せるのは有効かもしれませんね。
まあ、この本はじゅうぶん新書にしては分厚いので、載せるだけのスペースがなかった可能性はありますが……(露骨な擁護)。
もしそれほどセクシュアルマイノリティ当事者のことが知りたいのなら、学術書っぽい本書じゃなくて別の本を読めばよかったんじゃないのかなあ、という思いが禁じえません。
おすすめは『ボクの彼氏はどこにいる』、『13歳から知っておきたいLGBT+』、『しまなみ誰そ彼』の3冊ですね。
おわりに
著者の回し者だと疑われても仕方のないような記事でしたね。一応回し者じゃないです。著者は東大じゃなくて早大の先生ですし、会ったこともありません(笑)
ま、書いていて思ったのですが、誤読している人にチクチク嫌味ったらしく書くのは性格悪いし分断が生まれるだけで非生産的かもしれませんね……。
でもとにかく、不当な評価で『LGBTを読みとく』が読まれないのは哀しいので、いろいろ反論してみました。
ぜひ皆さんも、『LGBTを読みとく』を読んでみてください。
「クィア・スタディーズ」、面白そうですよ。

ま、以上、みんなすばるでした。
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