家庭科の教科書で、印象に残っている記述がある。
「油のついた皿を洗うときは、まずキッチンペーパーなどで油をぬぐってからにしましょう」
そんな趣旨だったと思う。
でも、家庭科の先生はほんとうに家でこれを実践しているんだろうか? いや、仮に実践していなかったとしても、この取り組みそれ自体の意義が否定されるものではないのかもしれない、などと未だにぐるぐる考えたりする。
さて、最近はある少女がニュースを賑わせている。スウェーデンの高校生環境活動家グレタ・トゥンベリ(Greta Thunberg)(16)だ。
僕自身は環境問題についてかなり不勉強だから何も言えないのだが、ちょっとおもしろいツイートを見つけた。
このコメント欄凄い。まさにキレイゴトフォビアの群。この演説はまさにそういうお前に言ってんだよって話なんだけどね。
「よくもそんなことを」 トゥンベリさん、怒りの国連演説(AFP=時事) https://t.co/ckZ9EmMpwD— MOJO (@MOJO11040843) September 24, 2019
改めて言っておくが、僕自身はこのトゥンベリさんの演説を聴いたわけでもない。
ただ興味深いのは、トゥンベリさんの意見のことを否定する人が多い点だ。
- 「子どもが環境団体に利用されていてかわいそう」
- 「こんな正しいことを言ってるけど、この子だって環境破壊を生む利便性の恩恵を受けているじゃん」
といった意見がみられる。僕としては、言いたいことはわかるし、共感できる部分もなくはない。でも、環境破壊がやばいっていうのはなんとなく科学的事実だとわかってる(といっても、ちゃんとしたファクトを調べたわけでもないのだが)。だからこそ、「まあ、キレイゴトではあるけど、笑い飛ばせる意見でもないよな」と思う。
ただ、やっぱり、「キレイゴトフォビア」は僕の中にもあるし、多くの人の中にもあるんだと思う。「キレイゴトフォビア」を責めても、きっと何も解決しないんだと思う。「キレイゴトフォビア」を飼いならすか、それをうまく迂回する方法がないといけないんだと思う。
といってる僕自身には、具体策もないし、責任も取れない。某セクシーポエマー大臣は具体策がなくても責任は取れるので、その点で僕はセクシーポエマー大臣以下なんだろうと思う。
難しい。
↓ 今日も投票お願いします!↓