こんにちは、みんなすばるです。
中学生・高校生の頃はじぶんのセクシュアリティで悩みもしましたが、今じゃ「ゲイでよかったな〜」と思うんですよね。
そこで今回は、ぼくがゲイでよかったこと個人的3つ、
- 人の輪が広がった
- 視野が広がった
- 「女子受け」を気にしなくていい
を紹介します。
人の輪が広がった
「ゲイ」/「セクシュアル・マイノリティ(LGBT)」だったおかげで出会えた人がたくさんいます。
たとえば、
- ピアフレンズで違う高校の友人ができた
- セクシュアル・マイノリティサークル(LGBTサークル)に所属できたことで同年代〜30代の人とも仲良くなれた
- ゲイアプリつながりで一回り〜二回りの人とも知り合えた
などなど。
要するに、「ゲイつながり」「セクマイ(LGBT)つながり」で知り合える人が爆発的に増えるんですよね。逆説的に。
これって、ストレートでシスジェンダーの人(異性愛者+性自認と出生性が一致)にはなかなかできないことなんじゃないかと思います。だって、「ストレート」「シスジェンダー」という共通項でわざわざ集まることってないじゃないですか。
(あとは、ベタですが、ゲイじゃなかったら今の恋人と出会えてなかったと思うと恐ろしいです)
そういう意味で、いろんな人と会えるからゲイで良かったな〜、って。
視野が広がった
じぶんがゲイであることに悩んだおかげで、色んなことを考えられるようになりました。
たとえば、
- 「同性愛はキモいから禁止してほしい」と言われても納得できない。だとすれば、「不快だから禁止するべき」という論理は、ほんとうに正しいのか?
- 「同性愛はダメなものだ」となったのはつい18-19世紀のことで、それが20-21世紀になって変わろうとしている。ぼくたちの身の回りの「当たり前」も、200年後からすれば「おかしな常識」なのかもしれない。それなら、今の常識もぜんぜん変える余地のあるものなのではないか?
- 「ふつう」って何?
- 「男らしさ」って何?
- 「社会の常識」って必ずしも受け入れなきゃいけない?
みたいなことを。
やっぱり「ゲイ」というマイノリティ視点によって得られたものは、すごく多いですね。仮にぼくがストレートのシスジェンダーだったら、もっと傲慢に生きていたんだろうと思います。
(もちろん、ストレートのシスジェンダーは傲慢でゲイは謙虚だ、みたいな全体的な話ではありません笑)
そんな感じで、ゲイであるおかげでいろいろなことを考えられるようになって、本当によかったです。
「女子受け」を考えなくていい
「男子にも女子にも態度を変えないよね」
ぼく、結構そう言われるんですよね。でも、ぼくとしてはあまり自覚がありませんでした。ところが、ちょっと観察してみると、意味がわかりました。
「女子を女子扱いしない」
おそらく、そういうことなんですよね。
男子って、意識的か無意識的か、女子を「女子扱い」してたりするみたいです(しない人もいます)。
でもぼくはゲイだから、女子にいい顔をしなくていいわけです(もちろんストレート男子にも別にいい顔をしなくていい)。そうすると、「男子にも女子にもいい顔をしない」=どちらにも平等に接する、という態度が生まれるんだと思います。
だから、ぼくは基本的に女子におごらないし、女子を守ろうとは思わないし、女子を意識することはほとんどありません。
それでぼくはいいと思ってます。
女子はたくましいし、別に男子なしで生きていけるだろうし。恋愛対象じゃないし。
他方、ぼくがゲイじゃなかったら、もしかすると「女子受け」とか「男かくあるべし」みたいな風潮に飲み込まれていたかもしれない。それであれば、(嫌なのに)社会の風潮に従っていたかもしれない。
そう考えると、ゲイであることで「女子はどうでもいい」し、「最初から”男らしさ”をある程度に逸脱しているので諦めがついている」のです。
だから、ゲイで良かったな、って。
おわりに
要するに、「ゲイであることは悲劇なんかじゃない」。
少なくともぼくの場合は。
むしろ、人のつながりが広がるし、視野も広がるし、社会の風潮から距離をおける。
そんなわけで、ぼくはじぶんがゲイで良かったな、と思うわけなんです。
以上、みんなすばるでした。
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