「多くのゲイは、ノンケの人と同じように扱われている」
「いやいやいや、ゲイの人もやはり社会制度で差別されているよ」
上の会話のように、「社会でゲイ(をはじめとしたLGBT・セクシュアルマイノリティ)がどう扱われているのか」をめぐって、ゲイの中でも意見が割れる。
ひとまず簡単に分類するとしたら、次のようになるだろう(名前は勝手につけた)。
マジョリティとの違いを強調して、ゲイの置かれている立場が劣位にあると説く「異化派」
マジョリティとの共通項を強調し、マジョリティに寄せていくことを重視する「同化派」
ゲイが社会に受け入れられていく上で、「異化派」「同化派」どちらの立場も有り得そうだし、説得力がある。しかしいずれの立場も、ある「ジレンマ」を念頭に置いておく必要がありそうだ。
それは、「差異のジレンマ」だ。
「差異のジレンマ」とは?
「差異のジレンマ」とは、
差異に注目することが格差の拡大をもたらす場合がある反面、差異を無視することが格差の拡大につながる場合もある。
LeafMagazine vol.11- メルマガバックナンバー|LITALICOジュニア-幼児教室/学習塾/児童発達支援/放課後等デイサービスより
というジレンマを指す。
もっと噛み砕いて言うと、次の図のようになる。
ゲイの場合に見る「差異のジレンマ」
例えば「異化派」のゲイであれば、次のように言うだろう。
- 「異性カップルは結婚できるのに、男同士では結婚できないぞ!」
- 「誰しも結婚する権利をもっているんだから、この不平等は直してくれー!」
他方、「同化派」のゲイであれば、次のように言うはずだ。
- 「異性カップルが愛し合うように、男同士だって愛し合えるんだよ!」
- 「異性カップルだろうとゲイカップルだろうと一緒! 仲良くして!」
どちらの立場をとっても、排除・不平等?
しかし、「異化派」「同化派」どちらの立場にも弱点がある。
「異化派」のように「これだけ違うんだぞ! だから直してくれ!」と訴えると、「いや、結構違うじゃん。やっぱり異性カップルとゲイカップルは相容れないよな」と「排除」を再生産してしまう恐れがある。
他方で、「同化派」のように「これだけ一緒なんだぞ! だから共存しよう!」と訴えると、「オーケー。じゃあそのままでいてね。あ、でも、結婚の権利とかはちょっとやりすぎかな」というふうに、「現状維持」=排除・不平等の再生産が起こる。
このように、「これだけ違うんだぞ」派・「これだけ一緒だよ」派のどちらも排除や不平等を作ったり維持してしまう可能性があるのだ。これこそ、「差異のジレンマ」だ。
「差異のジレンマ」を乗り越えるには?
さて、「異化派」「同化派」のどちらもジレンマにぶち当たるのなら、いったいどうすればよいのだろう?
長期的に見て「異化派」「同化派」のどちらが排除・不平等をなくしていけそうかを考え、その立場で意見を言っていくべきだという立場もあるだろう。
要するに、「異化派」と「同化派」のどちらを取るか、だ。
他方で、折衷する立場もあり得るし、それが理想的のようにも感じる。人は誰しも共通点と違うところがあり、その「等身大の自分」を知ってもらうことこそ、受け入れられていく上での一番の近道なんじゃないかと。
ま、綺麗事なんですけどね。
でも綺麗事を言わないでどーするよ?