こんにちは、みんなすばるです。
つい最近、こんなツイートをしました。
他のゲイの方のブログを見てて、ぼくも自分の内省をもう少し書いて行こうかな〜と思い始めた。
— みんなすばる@社学3年 (@c_hanger_itr) September 29, 2018
そもそもブログは自分の書きたいことを書くべきだもんね。もちろん書いてはいるんだけど「ウケ」を狙って自分を縛りすぎてたかもしれない。
— みんなすばる@社学3年 (@c_hanger_itr) September 29, 2018
そんなわけで、早速「自分のこと」というカテゴリーも追加してみました。
これからは、このブログでもう少し自分語りをしていこうかな、と思っています。
たとえそれがPVを下げる要因になったとしても。
結局、ぼくは自分語りをするのが好きなので(笑)。
そんなわけで、今回はぼくのコンプレックスについて書いてみようかと思います。
本当、どうでもいい人にはすみません(笑)
コンプレックスを認識したきっかけ
まず、コンプレックスを意識したきっかけについて。
ポッドキャストの相方
実はぼく、ポッドキャストをやってまして。
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ハッシュタグ→ #崖ゲイ
メール→ gaygake@gmail.com— Podcast『崖の上のゲイ』 (@gakegay) August 21, 2018
(iTunesの不調で全然公開できていないのですが)
そのポッドキャストは2人でやっています。
相方は、セクシュアル・マイノリティサークルで意気投合(?)したゲイの子です。
その人がほんとうに面白い人で、
- エロあり(性欲が強い?)
- 笑いあり
- 社交性あり
- 絵かきスキルあり
- デザインスキルあり
- サービス精神(?)あり
- いじられ属性
- つっこみ属性
- 好奇心旺盛で無鉄砲
といった感じなんですよね。
彼は彼でいろいろ大変みたいなんですけど、少なくともぼくから見た限りではとても魅力的な人物なのです。持ち前の社交性でゲイバーの店子(店員さん)をやってみたり、好きな歌や踊りを覚えたり、絵を描いたりなどなど。
要するに、行動力がある。
そんな彼とポッドキャストを録ったりしていると、その行動力に脱帽しつつ、自分の行動力のなさを反省しちゃうんですよね。
ゲイバーに行った
先日、ポッドキャストを収録したあと、相方と一緒にあるゲイバー(「A」としましょう)に行きました。
そのゲイバー「A」は、以下のような特徴があります。
- そんなに騒がしい感じではない
- 近くの(知らない)人と話すことになる
- 店子さんが気を使って話に入ってくれる
そのゲイバー「A」でも、ポッドキャストの相方は社交性を遺憾なく発揮するのです。一人で来た人にも話しかけたり、初対面の二人組と話したり。
ぼくは、時々話に合わせて作り笑いをしながら、やっぱり感心するしかありません。そして「どうしてこんなに話せるんだろう」とか「今、ぼくが話すのは適切なタイミングなんだろうか」とか頭でっかちに考えて、会話のリズムをつかめないのです。
ぼくのコンプレックス
上のようなきっかけで、ぼくは悩んでしまうんですよね。
ぼくはポッドキャストの相方と全然対照的なのです:
- あんまり性に関心がない
- あまり笑わない(そもそもあんまり表情を動かさない)
- 社交性がない(あるいは人とズレている)
- デザインスキルがない(勉強したいと思っている)
- サービス精神は気分による
- 好奇心はあるが、考えすぎちゃう
- 安定志向
要するに、ぼくは「落ち着いている頭でっかちな奴」なわけです。
コンテンツ力を犠牲にして安定性を得て、行動力を犠牲にして慎重を得る、と。
(ある意味でけっこう東大生っぽいかもしれない?)
ゲイバーにしても、いろいろ考えちゃうわけです。
○二丁目特有(?)の、自虐/相手をバカにして笑いを取る手法に対して:
- 相手は不快に思っていたりしないだろうか
- 相手をダシに笑いを取るのは倫理的に正しいのだろうか
- 自虐で笑いを取るとしても、相手はそれを笑いづらいだろうか
- 上記のことを相手も考えていて、笑いづらいのだろうか
○店子さんが話しかけてくれることに対して:
- 気を遣わせてしまっていないだろうか
- 本当はどうでもいい話をさせてしまっているのではないだろうか
- 心の底では退屈ではないだろうか
- 以上のことをぼくが考えていると見抜かれていて、余計に気を遣わせていないだろうか
- (こんなことをブログに書いたら、余計に気を遣わせてしまうだろうか)
○雑談を聞いたり参加していて:
- 会話がループしていないだろうか
- 聞こえない(耳が悪いのか、人の話を聞く気がないのか())
- 相手は楽しんでいるだろうか?
- 参加者の情報量は、十分だろうか
以上みたいなことをずーっと考えちゃうんですよね。めっちゃめんどくさい奴ですよねw
「波に乗っている」ときはすらすら人と接することができるんですけどね〜。
コンプレックスの解消法
コンプレックスも個性ではあると思います。でも、(ないものねだり的ですが)「面白い人」になりたいんですよね〜。
そうするためには、まず行動力をつけたいし、コミュニケーション力もつけたいなあ、と。
解決策として、
- 相手にもっと「敬意」とか「好奇心」をもつ
- 考えすぎない
- 誰かと何かをやる
といったことをすれば、行動力やコミュ力を上げられるのかなあ、なんて。

以上、みんなすばるでした。
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余談:自分を許すための言い訳
以降、完全に余談です。
もちろん、コンプレックスに直面したときはそれを治したいと思うわけです。
でも、次の2つの理由で「コンプレックスを治さなくても良かったりするのかな?」と思ったりもします。
他の人も、実は辛いと思っている(多元的無知)
1つ目は、「実は他人も人間関係が辛い」説。
「多元的無知」という概念を使って説明してみたいと思います。
多元的無知とは、
集団の多くの成員が,自らは集団規範を受け入れていないにもかかわらず,他の成員のほとんどがその規範を受け入れていると信じている状態。
上のサイトでは、「多元的無知」の具体例として次のように説明しています。
本当は王様の服は誰にも見えていないにもかかわらず,「バカ」と思われるのが嫌なので,みんな王様の服を褒めてしまう。結果的に,「みんなには王様の服が見えている」と思ってしまって,だれも「王様は裸」とは言えない状態になってしまう。
このような状態を,専門的には「多元的無知」と呼ぶ。
この「多元的無知」をコミュニケーションにも応用すると、
- 他人も本当は「この雑談は苦痛だ」と思っている。
- しかし「コミュ障」「変なやつ」と思われるのが嫌。
- なので、みんな無理にでも楽しそうに雑談をしようとする。
- 結果的に、「みんなはこの雑談を楽しんでいる」と思ってしまって、誰も「この雑談は苦痛だ」とは言えない状態になってしまう。
というふうになるわけです。
だから、実はみんなもぼくみたいにコミュニケーションが苦痛だったりするのかなあ、なんて。
性格的な個性?
つい先日、次のようなツイートを見ました。
スキゾイドパーソナリティについて描いてみました
あなたの周りにもこんな人いませんか? pic.twitter.com/ZjwC12xTYC— ふーと@人間社会の飛行法 (@huutott) September 22, 2018
つまり、
- 親密な関係をもたない
- 一貫した孤立
- 性への関心が薄い
- 喜びを感じることが少ない
- 信頼できる人がいない
- 賞賛や批判に無関心に見える
の7つのうち4つ以上に当てはまると、「スキゾイドパーソナリティ障害」と呼ばれるらしいのです(軽度なら、ただ「スキゾ的性格」)。
これを見て、「あっ、ぼくは結構スキゾ的性格かもしれない」と思ったんですよね。
(逆に皆さんはどうですか?)
もちろん、いわゆるバーナム効果(誰にでも当てはまるような曖昧なことを、自分だけのことのように感じてしまう現象)かもしれませんが……。
そういう性格的な問題なのだとしたら、やっぱり無理に自分を変える必要もないのかな、なんて思ったりもします。(言ってることが二転三転していて、自分でも笑う)
だからわざわざ苦手な環境に行かなきゃいい、って話ですね。それはそれでチャレンジ精神がないんですけどね……。
ま、以上。余談でした。