カミングアウト

「カミングアウトは自己満足」論が苦手なワケ

カミングアウトに関するこんなツイートを目にした。

要するにこういうことだ。

  • 親にゲイだとカミングアウトした
  • 親はそれを受け入れてくれた
  • しかし、親はツイ主が幸せになれるのかわからず、不安がって泣いていた
  • カミングアウトした側はスッキリするけれど、[注:親を悲しませてしまうのであれば]、親へのカミングアウトは自己満足なのではないか

このツイートは50リツイート超・400ファボ超で迎えられた。
賛否両論があったようで、僕自身「カミングアウト=自己満」論が苦手だ。

 

ゲイが迫られる二択(?)

例のツイートは、おそらく次のような二択を想定している。

  • 親にカミングアウトする。
    それは「セクを隠す=親を安心させる」ことから降りる行為でもある。
  • 親にカミングアウトしない。
    それは「セクを隠す=親を安心させる」行為でもある。

例のツイートだけだと上の二択で済むのだが、「カミングアウト=自己満足」論はしばしば次のような図式も付け加わってくる。

  • カミングアウトする人は、自分で抱えきれない=心が弱い(=悪)
  • カミングアウトしない人は、我慢できる=心が強い(=善)

 

「親を安心させない」≠ 悪

「正しい自分を知ってもらうこと」よりも「親の安心」を優先したいと思うからこそ、ツイ主さんは先のツイートをしたのだろうと思う。つまり自己犠牲の精神だ。それはそれで尊い。

ただ、「親を安心させない=悪」ではないと思うし、「親を安心させられないのは、自分の心が弱いからだ」と自責するのも変に感じる。だいいち、親の安心のために生きているわけではない。それに、心の弱さを恥じる理由もない

>>カミングアウトは「エゴの押しつけ」か?

 

万人に「たくましく生きなくても良い権利」がある

「”自分の心が弱いから” カミングアウトしないと生きていけない」

こういうふうに自分を恥じるのは、あまり良くない。
少なくとも、自分にフェアではないと思う。

なぜなら、「たくましく生きなくても良い権利」を誰もがもっているはずだから。
(ここで注意してほしいのは、「たくましく生きても良いけれど、それは強制されるべきことではない」という点)

ストレート男性とゲイ男性の違い

一般的に、シスジェンダー*・ヘテロセクシュアル**の男性が親に向かって、「俺、女子が好きなんだよね。心配かけるかもしれない。ごめん」と言うわけがない。だって、そこに心配をかける要素がないのだから。

*生まれ/身体の性と性自認が一致している人のこと   **異性愛者のこと

つまり、シスヘテロの男性は「カミングアウトしないたくましさ」を背負っていないのだ。それは「たくましく生きなくても良い権利(特権)」だろう。

他方、シスのゲイ男性になった途端に「カミングアウトしないたくましさ」が求められるのは変な話だ。別にゲイだからといって、たくましく生きなくてもいいのに。

 

カミングアウトを”生み出す”社会が悪い

親も悪くないし、ゲイの自分も悪くない。
けれど、なぜかゲイの人には「たくましく生きなくても良い権利」が与えられていない。

責められるべき/変わるべきは、親でも自分でもない。
「そのような権利を与えない環境」が悪いのだ。

 

「たくましく生きなくても良い権利」のための義務?

「え、でも権利を要求するなら義務にも応えるべきでは?」
と疑問に思う人もいるだろう。

しかし冷静に考えてみてくれ。

シスヘテロの男性は、「たくましく生きなくても良い権利(特権)」のために何かの義務を負っているだろうか? 答えはノーだ。

だとすれば、やっぱりゲイ男性も「たくましく生きなくても良い権利」を義務なしで保障されるべきだろう(これはゲイ男性に限らないが)。

 

おわりに

ネット上では次のようにまことしやかに言われている。

インドではあなたは他人に迷惑をかけて生きているのだから、他人のことも許してあげなさいと教わる、と。

僕はこの考え方のほうが、よほど健全な気がするのだ。別に人に頼って生きていいし、人に迷惑をかけても良い(もちろん限度はあるが)。これがまさに、「たくましく生きなくても良い権利」なのではないだろうか?

※「海外ではこう考えているから、日本もこうするべき」と言いたいのではない。
「こういう考え方もあって、そちらのほうが生きやすくない?」と提案しているまでだ。

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