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ゲイ・LGBT

カミングアウトは「エゴの押しつけ」か?

あるとき、サークルの後輩がこういう疑問(大意)をツイートしていました。

カミングアウトって、(相手に負担をかけるから)エゴの押しつけだったりしないのかな?

以降、ぼくは「カミングアウトの倫理性」について頭を悩ませています。
未だに悩ませています。

カミングアウトとは、

自分が,社会一般に誤解や偏見を受けている(同性愛者などの)少数派の主義・立場であることを公表すること。アウト。カム-アウト。

三省堂 大辞林より

そんなわけで今回は、カミングアウトはエゴの押しつけか? というテーマでだらりと書いてみます。

ぼくの結論は、「カミングアウトはエゴの押しつけだが、それは悪いことじゃない」、です。もしよければ、みなさんも一緒に考えてみてください。

 

カミングアウトは、情報の伝達?

みなさんは、カミングアウトをどういうものだと解釈していますか?

いろいろな言い方はあるでしょうが、「カミングアウト=秘密の開示」というのが、おそらく根強い意見でしょう。確かに、「僕はゲイなんだよね」と伝えることは、「〈ゲイである〉という秘密」を伝えることですしね。

つまり、「カミングアウト=単なる情報の伝達」というわけです。

 

「黙ってればよくない?」

「カミングアウト=単なる情報の伝達、秘密の開示」だとするなら、「情報を伝えない」「秘密を隠しておく」という選択肢もありますよね。

だから、「自分のセクシュアリティなんて黙っていればよくない?」という意見も出てくるわけです。「お前のセクシュアリティについて、俺は知りたくない。セクシュアリティを知ることは、俺にとって重荷になるから」と。

極端に言えば、「カミングアウトされる側は迷惑なんだから、黙ってろ」という論ですね。

 

「カミングアウトは迷惑」論も、エゴの押しつけ

「カミングアウトされる側は迷惑なんだから、黙ってろ」という意見はごもっともと言えばごもっともなのですが、逆にそれも「エゴの押しつけ」なんですよね。「お前がゲイであることを受け入れられない。そんな俺のエゴを受け入れろ」と言っているわけですから。

別の例で考えてみましょう。

ゲイを公表している元参議院議員(自民党)の松浦大悟さんは、次のように語っています。

高齢者の皆様が生きてきた過程の中では限界がある。私は広島県出身だが、秋田放送のアナウンサーをしていたので、政治家としての地元は秋田県。支援してくれるおじいちゃんは、”松浦はよ、病気だから、障がい者だから仕方ねえべ”と言って、周りのおじいちゃんたちを説得してくれるが、私はこれを差別だとは感じていない。LGBTの人たちは”自分たちのことを理解して欲しい”と言うけれど、じゃああなた達はそういう高齢者のことを理解しているのか[。]

「休刊するのは逃げ」『新潮45』に寄稿した松浦大悟氏がLGBT当事者として感じるディスコミュニケーション より(太字は引用者)

つまり、高齢者視点で言い換えると、

われわれ高齢者にはLGBTを理解できるだけの環境を与えられて来なかった。それはわれわれ高齢者がどうにかできることじゃない。だから、LGBT当事者側もそれを理解するべきだ

という言い方になるわけです。

これって、(当事者側がエゴを押しつけていると考えるのであれば、)高齢者側も「理解しろ」とエゴを押しつけてますよね。

 

そもそも「エゴの押しつけ」は悪いことなのか?

そもそも、エゴの押しつけは悪いことなのでしょうか?
いや、悪いことではないでしょう。

人と人のコミュニケーション自体、エゴの押しつけで成立しています。

たとえば、

そのコップを取ってくれない?

というのは、「あなたにコップをとってほしい」というエゴの押しつけだし、

私の名前はつばさ

というのは、「私がつばさであることを認めてほしい」というエゴの押しつけです。

つまり、エゴの押しつけ自体は日常的に行われていて、悪いものとして見られていません。
だから、セクシュアリティの話になった途端に「エゴの押しつけは悪い」となるのは、逆にすこし奇妙なわけです。

 

悪いのは「一方的な」エゴの押しつけ

となると、エゴの押しつけ自体は悪くないのです。
悪いのは、「一方的な」エゴの押しつけでしょう。

A
A
僕、ゲイなんだよね
B
B
迷惑だから、聞きたくない

上の例だと、結局のところBさんがエゴを一方的に押しつけてるだけですよね。
この場合、ぼくはBさんのほうが悪いかなと思います。

他方、下の例だとどうでしょうか。

A
A
僕、ゲイなんだよね
B
B
心の準備とか、どう接すればいいかとかがわからないから、少し距離をおいてしまうかも

この場合、AさんもBさんも「いいバランスで」エゴを押しつけあっていると思いませんか? Aさんとしては「フラットに」接してほしいでしょうが、BさんはAさんに向き合おうとしつつ、自らの限界を自覚している点で、誰も責められないと思います。

他に、

A
A
僕、男が好きになるんだよね
老人
老人
そんなことはありえない……。男は女を好きになるものだ
A
A
どうしてわかってくれないの? なんで?
老人
老人
(あまりエルジービーティーとかいうのがわからない……)

という場合は、ぼくとしてはAさんが一方的にエゴを押しつけているように見えてしまいます。

要するに、「一方的な」エゴの押しつけがダメで、「バランスの取れた」エゴの押しつけ合いが理想的なんだろうと思います。

(もちろん、「一方的」とか「バランスの取れた」というのは主観的なので、厄介ですが……)

 

カミングアウトは「エゴの押しつけ」でいい

結論、カミングアウトはたしかに「エゴの押しつけ」と言えますが、それでいいのだと思います。

つまり、「カミングアウト自体が悪いのではなく、”一方的なコミュニケーション”が悪い」というわけです。カミングアウトを含むすべてのコミュニケーションは、自分と他者との相互作用である以上、これは必然的かもしれませんね。

皆さんはどう思いますか? ぜひご意見をお聞かせください!

そんなわけで以上、みんなすばるでした。

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ABOUT ME
みんな すばる
東京大学で社会学を学んでいます。 「中学生のぼくに、読ませたかったブログ」というコンセプトのもと、「社会学×ゲイ×東大生」目線でいろいろ書きます。 詳しくは → プロフィール

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