頭でっかちかも。みんなすばるです。
なにげなく書いたツイートが先日、ちょっとだけリツイートされました。
「ふつうのゲイです」とぼくは言えない理由は、
①”ふつう”の指している内容が曖昧すぎる
②色んなゲイがいるから、「ふつうのゲイ」が想定できない
③(せっかくゲイに生まれたから、)”ふつう”にこだわる必要を感じない
④”ふつう”に翻弄されたのに、今度は”ふつう”を振るう立場になるのは不誠実 https://t.co/fKzlljhyKr— みんなすばる@社学3年 (@c_hanger_itr) August 22, 2018
このツイートを巡っていろんな方の意見を踏まえて、あらためてブログに書き留めておきたいなと思いました。
というわけで今回は、ぼくが「ふつうのゲイ」と名乗れない理由をお話しします。
理由①:「俺こそが正常だ」と決める行為でもあるから。
「私はふつうです」と言うことばには、特殊な力があります。
それは、聞いた側に「あ、この人がふつう(=平均的+正常)なんだ。でも僕は、この人と違う。つまり僕は異常ってことか……」と思わせる力です。
この特殊な力は、たとえばこういう場面で発揮されます。
このように、「何が正常なのか」を決めることが「ぼくはふつうのゲイです」と言った時にも起きてしまうわけです。
だからぼくは、「ふつうのゲイ」と言えません。
理由②:「ふつうのゲイ」は存在しないから。
- アゲハ(というゲイのクラブイベント)に行って社交するゲイ
- しっとりしたゲイバーで静かに語らうゲイ
- カムアできず、他のゲイ男性と接したこともないゲイ
- 周りに「オネエっぽいゲイ」しかいないゲイ
この人たちが想定する「ふつうのゲイ」は、それぞれ全然違うはずです。
つまり、「ふつうのゲイ」とは「じぶんの見えている範囲での平均的ゲイ像」でしかありません。
10代・20代・30代のゲイの間でも「ふつう」は違うでしょうし、地方都市と東京のゲイでも「ふつう」は違うでしょう。
主観的でしかありえない「ふつう」をもとに「ふつうのゲイ」を名乗ることに、ぼくは抵抗感があるのです。だって、「ふつうのゲイ」は存在しようがないからです。
理由③:「ふつう」にこだわる必要を感じないから。
良くも悪くも、ゲイのぼくは「異性愛者にとってのふつう」にはなれません。でも別に言い方をすれば、ぼくは「ふつう」から解放されています。
つまり、すこしだけ自由なのです。
それなのに「ふつうのゲイ」と名乗るのは、せっかく得られた自由をわざわざ捨てることのように感じてしまうのです。
ぼくは不自由が嫌いです。だから、「ふつうのゲイ」という不自由な名乗りは嫌だなあ、と思うわけなのです。
おわりに
「ふつうのゲイ」と名乗るのは、いわば不可能な名乗りであり、祈りであり、「何がふつうかを決める行為だと思います。
ぼくは、どうしても「ふつう」に引っかかって名乗れません。神経質すぎるのかもしれませんね(笑)
でもだからといって「ふつうのゲイ」と名乗っちゃいけないわけではないと思います。そのように名乗る人の気持ちもよくわかりますし。それに、誰が何を名乗るかをぼくが決める資格はありませんしね(笑)
あとは見聞きする側の「ふつうリテラシー」に期待するしかないのかな。
さて、あなたはどう思いましたか……?
ぜひコメントやツイッターでご意見をお聞かせください!
というわけで以上、みんなすばるでした。
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