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『青のフラッグ』はきっと、LGBTに”だけ”言及したいわけじゃない。

(※※ この記事には、『青のフラッグ』のネタバレが含まれます ※※)

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さて、以前に「次世代青春マンガ」として『青のフラッグ』を紹介しました。

絶対おすすめ!次世代青春マンガ『青のフラッグ』の魅力を徹底解説してみた。【ゲイは読むべし】 この記事は、『青のフラッグ』のネタバレを含みます。 ご注意ください。 1日1回、何もないところでつまずくのが特技。みんなすば...

で、気になったので「青のフラッグ lgbt」を検索してみました。

すると、検索結果トップに面白いnoteが。

しかしどうやらこのnote、更新日時が2018/03/14。

つまりまだ第5話までしか判明していない状態で書かれたnoteなのです。

しかし今(2018/08/22)、『青のフラッグ』はすでに33話を迎えています。

つまり、このnoteは情報が古いのに「青のフラッグ lgbt」でトップに来ているのです。

これは由々しき事態

そこで今回は、このnoteをアップデートする意味も兼ねて、ちょっとした難癖を書いていこうと思います(笑)

ズバリ、

『青のフラッグ』はきっと、LGBTに”だけ”言及したいわけじゃない。

 

※先入観を持たないためにも、『青のフラッグ』を先に読むことをおすすめします。

コミックちゃん。さんのnoteに難癖をつけていく

コミックちゃん。さんのnoteから、今回の記事にとってたいせつな部分を(文脈がわかるように改変しつつ)引用してみます。

そして引用しつつ、難癖()をつけていく形にします。

なお、ぼくの難癖はすべて極大の後出しジャンケンです。
後出しジャンケンのイデアも真っ青なレベルでの後出しジャンケンです。

そこはご注意ください(性格悪くてすみません)。

それでは、いってみよー!

 

『青のフラッグ』は絶望的?

コミックちゃん。さんは、このように言います。

[『青のフラッグ』]からは「最終兵器彼女」や「聲の形」、「僕らの」といった様な淡く甘酸っぱくそれでいて絶望的な印象を受ける。

【青のフラッグ】はきっとLGBTについて言及したいわけじゃない。 より

ところが、ぼくはそれほど絶望的な印象は受けません。

いきなり真逆の『青のフラッグ』観(笑)

さて、ではなぜコミックちゃん。さんは『青のフラッグ』を絶望の系譜に位置づけるのでしょうか?

それはおそらく、コミックちゃん。さんが「二葉はトーマへの想いを成就させることがない」という流れを第5話の段階では見据えていたからでしょう。

ところが、第33話まで読めば「二葉の絶望」は解消されることがわかります。

そしてむしろ「絶望」に苛まれているのは、トーマや真澄といった「同性を好きになった人たち」です。

つまり、『青のフラッグ』は「当初の絶望から、別の絶望へと移行した」わけです。

 

恋の多様性や小さな失敗は「世界の終わり」?

コミックちゃん。さんは、このように続けます。

もちろん青のフラッグには[世界がぶっ壊れたり巨大な力に町が壊されたりする]シーンはない、しかしなぜ[バブルは弾けた、テロが起きた、もう世界は終わってしまう。そんな]感覚に陥るかと言われれば今を生きる僕たちにとって恋の多様性や小さな失敗の方がよりわかりやすい“世界の終わり”なのだ。

【青のフラッグ】はきっとLGBTについて言及したいわけじゃない。 より

ここからもちょっとした「ん?」という違和感があるのです。

 

「恋の多様性」は「世界の終わり」か?

上のように、コミックちゃん。さんは「恋の多様性」や「恋の小さな失敗」に「世界の終わり」を読み込みます。

他方、ゲイでありセクマイの一員であるぼくからしてみると、少なくとも「恋の多様性」を「世界の終わり」とは読めません。

むしろ、「恋の多様性」は「希望」です。「世界の終わり」からは程遠い

 

「恋の小さな失敗」とは何を指すのか?

次に、「恋の小さな失敗」について。

これはあくまで推測ですが、コミックちゃん。さんは恋の小さな失敗」の中に「同性愛者がノンケを好きになること」を含めている気がします。

(というよりも、そう解釈しないと『青のフラッグ』中で「恋の小さな失敗」はほとんど登場しないことになり、意味のない言明となってしまう)

 

「恋の小さな失敗」は『青のフラッグ』に存在するか?

同性愛者を”うっかり”好きになったノンケ、
ノンケを”うっかり”好きになった同性愛者。

こういう点では、たしかに「小さな」失敗と表現できるでしょう。

しかし、第5話からすでに第33話にまで来た今、われわれはトーマや真澄の苦悩を知っています。

そしてその苦悩を考えると、この2人の「恋の失敗」を「小さな失敗」と呼ぶことには無理があるのではないでしょうか。

というか、『青のフラッグ』に登場する「恋の失敗」はすべて「大きすぎ」ます。

  • 二葉 → トーマ
  • マミ → トーマ
  • (多数の元彼) → 真澄
  •  ケンスケ(あの坊主の男子) → マミ

のいずれにおいても、「恋が根本的な次元で失敗している」わけです。

つまり、いまや『青のフラッグ』に「恋の小さな失敗」は存在しません
あるのは、「大きな失敗」だけです。

 

スクールカーストの中での終末?

コミックちゃん。さんは、第5話の時点ではこのように言っています。

週末感のあるジャンルの中でこれは一番ポップな作品だと思う。しかもスクールカーストという世界の中での終末。同じ匂いこそすれそこにはまた別の意味が見えてくる。それこそがこの漫画の根底、いたずらにLGBTの問題を出して感情を安売しているわけではないのだ。

【青のフラッグ】はきっとLGBTについて言及したいわけじゃない。 より

『青のフラッグ』が「世界の中での終末」を描こうとしてる点をやはり強調しています。

しかし、第33話にまで到達したぼくたちは、知っています。

今の『青のフラッグ』では、「スクールカースト」がほとんど背景化している、ということを。したがって、「スクールカーストという世界の中での終末」も描かれていない、ということを。

むしろ「セクシュアリティという隔絶による世界の終末」が描かれているといったほうが正しいでしょう。

そう考えると、『青のフラッグ』はたしかに「いたずらにLGBTの問題を出して感情を安売しているわけではない」でしょう。

むしろ、「LGBTの問題を丁重に提起して、その感情を誠実に表現している」のです。

 

「この作品はLGBTの問題にいたずらに触れたいわけじゃない」?

そして核心部。

コミックちゃん。さんはこのように言います。

この作品はLGBTの問題にいたずらに触れたいわけじゃないと思うんです。

もちろん性のテーマになれば作品の中で作者のメッセージを読み解く人は多くいるし、展開によっては救いがまっていると期待する。
しかしそれなら放蕩息子のくらい隠して[原文ママ]描くのがリアルというものではないだろうか?LGBTをメインに据えるなら軽々しく一ノ瀬にカミングアウトしたりできないはずなんです。そういう意味ではこの作品のLGBTへの見解は甘すぎる。そういう意味でもここがメインではないと考えます。

【青のフラッグ】はきっとLGBTについて言及したいわけじゃない。 より

おそらく、

  • LGBTは隠されているほうがリアルである
  • したがって、LGBTは隠され続けるはずである
  • 隠され続けるために、LGBTは物語で前景化しづらいであろう
  • LGBTが物語で前景化しないということは、『青のフラッグ』のメインテーマはLGBTではない

という主張でしょう。

(後知恵ですが、一応。

  • 近年のリアリティに即して言うと、「LGBTは隠されていないほうがリアル」でしょう(LGBTがカミングアウトすることは、それほど珍しくなくなっている)。
  • したがって、「LGBTは隠されているほうがリアル」「隠され続けるはず」の両方は、あまり妥当な予想とは言えないかもしれない)

 

要するに「お話の中でLGBTが前景化する予感がしないから、『青のフラッグ』はLGBT(というかLGB)がメインの話ではない」と判断しているわけです。

また、第33話にたどり着いたぼくたちは知っています。

同性を好きになってしまった真澄やトーマの気持ちが、繊細に拾われていたことを。
いかに「同性を好きになること」がないものにされて、真澄やトーマが苦しんでいるか。

彼らは、『青のフラッグ』のまさに前景にいた(いる)わけです。

そんなわけで、『青のフラッグ』はたしかに「LGBTの問題にいたずらに触れたいわけじゃない」のです。

『青のフラッグ』は、LGBTの問題を丁寧に・繊細に・誠実に扱いたいのです。

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青春の残酷さに言及した作品なのか?

いよいよ終盤、コミックちゃん。さんは次のように言います。

“青のフラッグ”は僕たちの青春の残酷さに言及した作品だと考えています。昔よりも性の問題が認知されている今この感覚って現代の若者にとってすごくリアルなものなんだと思います。

ここまで来た方は察していると思いますが、ぼくは『青のフラッグ』がただ単に「僕たちの青春の残酷さに言及した作品」だとは思えません。

ましてや、LGBTに”だけ”言及したい作品でもありません

『青のフラッグ』は控えめに言っても、

  • 青春の残酷さ(セクシュアリティや好みの壁でかなわぬ恋)
  • 人を好きになるとは、人と共にいることとは(同性を好きになることと、同性の友人として見ること)
  • 女性へのバイアス(最初から伏線の張ってあった、マミの問題提起)

といった点に手広く言及している作品でしょう。

 

スケープゴートとして誕生した作品なのか?

ほぼ最後に、コミックちゃん。さんは言います。

この作品は高尚な学術書なんかではなく、今悩み周囲との軋轢に苦しむ学生や、かつて学生であった全ての人のスケープゴートとして誕生した作品だと思います。

【青のフラッグ】はきっとLGBTについて言及したいわけじゃない。 より

「スケープゴート」とは、「カタルシスに至るための作品」というニュアンスでしょうか?

そうだとすれば、ぼくも同意します。

『青のフラッグ』は、

  • 「女性として見られすぎてイヤだと感じる女性」
  • 「同性を好きになって葛藤した/している人」
  • 「友人か好きな人かを選ばなければならない人」

そういった人たちのためにある作品、なのかもしれません。

 

まとめ

すさまじい後出しジャンケンでしたね。

でも、『青のフラッグ』をLGBTに引きつけて読むのであれば、
少なくとも以上のようなことを考えて読んだほうが面白いでしょう。

そしてLGBT以外にも、たとえば「女性」の問題にも言及していることも見逃してはならないでしょう。

そういうわけで、『青のフラッグ』はきっと、LGBTに”だけ”言及したいわけじゃない。

以上、みんなすばるでした。

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