個人的な恋愛観

ゲイ東大生が、恋愛についてまじめに考えてみた。② 〜 「恋人」は「あなたの願い事を叶える存在」ではない 〜

最近『はらたく細胞』を観てます。みんなすばるです。

以前も恋愛について記事を書いたんですけど、今回も恋愛についてまじめに考えてみました。

とくに、「恋人」という存在について。

「道具として見る」こと、「目的として見る」こと

恋人のことを考える前に、ちょっと遠回りをしましょう。

すなわち「ものごとへの見方には2つのタイプがある」ということを確認します。

そのタイプとは、次の2つです。

  • ものを道具として見る
  • ものを目的として見る

 

では具体的に、これらを恋人に当てはめるとどのようになるでしょうか。

恋人を道具として見ている例

  • お金のために、恋人をATMとして使う

 

  • 性的欲求を解消するために、恋人をはけ口として使う

 

 

恋人を目的として見ている例

  • 恋人のために、お金を稼ぐ

 

  • 恋人のために、性的交渉をする

 

  • 恋人のために、命を捨てる

 

要するに、恋人を利用してなにかを得ようとするのが「恋人=道具」思考で、恋人のためになにかをしようとするのが「恋人=目的」思考、といえます。

 

恋人を「ほどほどに」目的にするのがよい理由

ひとまず、「恋人=道具」思考「恋人=目的」思考で恋人のことを考えてみます。

そうすると、恋人を「ほどほどに」目的にする、というのが理想的だ、とぼくは思うのです。

どうしてかというと、「恋人=道具」思考と「恋人=目的」思考のどちらにも問題があるからです。

恋人を道具として見ることの問題

  • 「その恋人」である必要がない
    なぜなら、別の「道具」と替えがきくから。

 

  • パートナーの尊厳を踏みにじる
    なぜなら、人を「道具」として見ているから。

 

  • 「恋人」という形を取る必要がない
    なぜなら、(性的関係も伴う)友達などの別の関係性で済むから。

 

恋人を目的として見ることの問題

  • 徹底すると、重くなってしまう
    なぜなら、「私が負担になっているかも……」などと思わせたり、「恋人=目的」じゃなきゃいけないんだという過度な義務感を感じさせてしまうから。

 

  • 徹底すると、「恋人=道具」と同じになる
    なぜなら、「〈恋人を目的にできている〉という自己陶酔」の道具になってしまうから。

 

  • 徹底すると、関係が不安定になる
    なぜなら、「恋人=目的」のちょっとした不徹底でさえ、関係に大きな動揺を与えるから。

 

以上の問題から、

  • 「恋人=道具」思考は、そもそも「恋愛関係」にそぐわない
  • 「恋人=目的」思考も、やりすぎると関係が壊れる

つまり、「恋人=目的」思考をやりすぎない=「ほどほどに」すれば良い
ということがわかります。

恋人を「ほどほどに」目的にする、とはどういうことか?

恋人との関係を考える上で、「ほどほどの目的化」がよいことはわかりました。

じゃあ、具体的にどういうことが「ほどほどの目的化」なのでしょうか?

ぼくは、次の3つのことが「ほどほどの目的化」だと思います。

  • 恋人に条件をつけない
  • 相手のしたいことを尊重する
  • お互いのことを「幸せに向かって並走できる存在」と見る。

ひとつずつ、説明していきます。

恋人に条件をつけない

たとえば、

  • 身長-体重は100以上がいい
  • たばこは吸わない人がいい
  • 毎週ディズニーランドに一緒に行ってくれる人がいい

 

みたいなことを言う人がいるじゃないですか。

でも相手は人間であって、パズルピースではありません

むしろ、逆に言えば「その条件に合致した人だったら誰でもいい」ということにすらなってしまいます
そうすると「恋人=目的」思考ではなく「恋人=道具」思考に近くなりますよね。

相手のしたいことを尊重する

相手は人間なので、モノのようには管理できません。

すると、相手のもっている欲求を尊重するのが、ほどほどの「恋人=目的」思考なのではないでしょうか。

仮に抑えられる欲求だとしても、です。

たとえば「じぶん以外の人とも性的関係を持ちたい」と言われたら、それを尊重するのが「恋人=目的」思考なのではないでしょうか?

もちろん、そういう点は話し合いが必要でしょうけれど。

「願いを叶えてくれる存在」ではなく、
「幸せに向かって並走できる存在」だと考える

「恋人ができたら、〇〇したい」みたいなリストを作る人っています。

でも、それに違和感をもっちゃうんですよね、ぼくは。

というのも、「恋人ってあなたの幸せのための道具じゃなくない?」って思うからです。

恋人とつながりを感じられること自体に満足するのが、「恋人=目的」思考なんじゃないのかなーって思うのです。それに、恋人も別個の人間です。じぶんとは別個の幸福像をもっているわけです。

そうすると、必然的に恋人って「幸せに向かって並走できる存在」になるんじゃないのでしょうか。


おわりに

なんだかえらそうな感じになってしまいました汗

でも、ぼくはつきあう上でこういうことを考えちゃうんですよね……。

めんどくさい人ですね()

以上、みんなすばるでした。

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